小学校6年生の道徳の教科書に違和感

小学校6年生の道徳の教科書に違和感

今回は少し社会派。
私の子供は小学校6年生で、先日教科書をいただいてきたので一通りざっと中身を見てみたのですが、道徳の教科書で違和感のあるものがありました。
私が読んだのは光村図書の道徳の教科書

SSでは見切れちゃってますが、男の子か女の子かわからないイラストが表紙の教科書です。
この教科書に「なれなかったリレーの選手」というお話があります。

お話の概要

小学校で今までずっとリレーの選手に選ばれてきた6年生の喜一。
そんな喜一は最近ゲームに夢中で寝不足が続いている。
喜一は小学校最後のリレー選手を決める日の前の晩、母親が夜勤で家にいないのを良いことに、夜更かししてゲームで遊んでしまう。
次の日、寝不足から思うように走ることができず、リレーの選手に選ばれなかった。
喜一はそんな自分が許せなかった。

ここから学ぶこととして、後悔しないためにどんなことを大切にするべきか、なぜゲームがやめられなかったのか、なぜ自分が許せなかったのか、なにを学んだかが挙げられています。

私が思う問題1 悪意しか無い

お話はもっともです。ゲームで夜更かししてリレー選手選抜戦で実力を発揮できないなんて絵に描いたようなダメ人間です。
まぁだいたいの場合、ここから学ぶことなんて「ゲームはやっぱりダメだな!」という結論でしょう。
答えありきの、よくできた素晴らしいお話です。
あのさ、これ、ゲームである必要あるの?
ゲームが悪であるという前提のもとに作られたお話ですよね?

確かにゲームに中毒性があるのはわかります。ゲームをモチーフにすることで子供が感情移入しやすいのも事実でしょう。
でも、いい加減、そろそろゲームを悪としてみなすのをやめたほうが良いんじゃないでしょうか。
私はゲーム大好きで子供の頃から遊んでいたし、中学生の時には夜更かしして読書して怒られたタチです。
私からすればゲームも読書も変わらないじゃんとしか思いませんでした。
夢中になった原因が勉強でもお手伝いでも読書でもゲームでも、いけないのはやりすぎることであり、この場合は夜更かししてまでやってしまうことです。
このお話から多くの小学生が得るのは「ゲームは良くない、悪い」というイメージではないかと懸念されます。

子どもが好きなゲームを悪者に仕立て、本質ではない部分がクローズアップされやすいようなモチーフは感心しません。

私が思う問題2 努力の否定を思わせる

運動ができること、ましてやリレーの選手に選ばれることは素晴らしい。
クラスの代表として選ばれるってことですからね!
でも、リレーの選手って努力だけじゃなれないことが多いじゃないですか。
早く走ることってひとつの才能だから。
このお話では夜更かしした結果、思うように走れませんでした。同じように夜更かしをして足の早い子がリレーの選手になったらどう思うでしょうか。
薄っぺらい世の中っすなぁ…
がんばって努力して選手になれなかったらどうでしょうか?
努力することが必ず正しいわけではありませんが、小学生くらいのときって、努力だけでは才能に勝てないコト、モノがたくさんありますよね。
走るということでしか「節度を守る」ということを伝えることはできなかったのでしょうか?

私が思う問題3 どっちにしてもワンチャンスしかない

お話の中で下記のように書かれています。

先生の合図で走り始めたとき、足がもつれてつまづきそうになった。思うように走れない。いつものようにうでをふれている気がしなかったし、足が前に出なかった。 結果は8.98秒。選手になれる記録ではなかった。
「どうしたの喜一さん、いつもの君らしくない走りだったね。」
先生がぼくに声をかけてくれた。

挿絵も転びそうになっている絵になっており、出だしでコケそうになったのは読んでも見てもわかります。
これ、記録取り直せば良くないですか。本番じゃないんだし。
その上でダメならやっぱり夜更かししたせいだよね、となります。
それに、スタートでコケそうになってるんだからいつもと同じように走りきれないだろうし、タイムも悪いでしょ。当たり前。この先生アホなの?絶対にスタート失敗しないと思ってるの?
仮に、いつもどおり走れていても、出だしでコケそうになったら良いタイムがでないんだからおそらく選手になれませんよね?
いつもどおりならタイムを計り直してくれるんですか?
それともこの子は挽回するくらいものすごく早く走れるんでしょうか。あるいは周りが遅いとか?
そして謎の8.98秒という具体的な記録と選手になれないタイムという記述。
いつもはどれくらいのタイムかわからないから比較もできないし、何メートル走なのかすら書いていない。
足をもつれさせたり無駄にタイムを書くくらいなら、いつもどおり走ったつもりだけど走れなかったという描写を多く入れたほうが良いと思います。
なんでスタートで足をもつれさせたのか、作者の気持ちを知りたいです。

私が思う問題4 家庭環境

これはさらに深刻。このブログらしからぬ深刻さ。
読んでまず思ったのは母子家庭なのか…ということです。
話に父親が出てきませんし、母親が夜勤でいないときに夜更かしをしたという風に書かれています。
直接は書かれていませんが、このことから母子家庭であろうことは容易に想像されます。
暗にして敢えて書かないところが卑劣。明記しなきゃセーフだと思ってるの?
このお話でこの子がゲームに夢中になったり夜更かしをしたのは、母子家庭、あるいは母親が夜勤に出なくてはいけない家庭環境にも原因があるのではないか、と暗示しています。
聡い子は察しますよ?
本当にこういうの、やめませんか?

結局なにを学びとするのかわからない

光村図書の補助教材を見てみると、学研の「睡眠について調べてみよう」というページにリンクされています。
お話の主題は「節度を守って」で、冒頭に「いけないと分かっているのに、ついつい何かをやりすぎてしまった経験、ないかな。」と書かれています。
ルールを守ってやりすぎはダメだぞって話が主題のはずですが、寝不足はダメだぞって話になってませんか?
もうさ、最初からお前ら夜更かししてゲームすんじゃねぇぞ!寝不足で調子悪くなるからな!って書けばイイじゃん。
でも、ゲームを悪者にしないといけないし、正直に書くと道徳じゃなくて保健になっちゃうからね、しょうがないよね。
家庭環境のことも暗に入れたりしてさ、主張したいことがあるならハッキリ書けばいいのに。

道徳とはいったい…

節度を守って規則正しい生活をして将来はみんな同じように真面目に窮屈に生きてハッピーという宗教ですよね。わかってます。
否定的な書き方をしましたが、もちろん悪いことではありません。
その方が生きやすいし、社会もうまく回ります。必要なんです。
でも、そうじゃない人もたくさんいます。多分、うちの子もそんな感じだから将来苦労すると思う。

今の御時世、ゲーム業界で働いている保護者や、母子家庭のご家庭だってまぁまぁあるでしょう。そういったことを考えず、安易にわかりやすい負の要素を重ねて価値を押し付けるのは本当にやめてほしい。
後ろ向きで暗く、悪者や間違いを探してボコボコにすることが道徳なのでしょうか?

 

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