本とゲーム

最近、「手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ」を購入しました。


実はまだこの本を私は読んでいません。
読んでいない理由は子どもが読んでいるからです。
書評はまた別の機会にするとして、子どもが本を読むことと私の考える本とゲームについて書きたいと思います。

本好きと本嫌い

私は本好きな方だと思いますが、子どもに読書を強制したことは一度もありません。

上の子(現在高3)は本が好きで、活字の本に関しては基本的に欲しいだけ買い与えるという方針だったので、比較的自由に好きな本を読むことができたんじゃないかと思います。
欲しがるジャンルはライトノベルが多かったのですが、内容までは深く触れずに読みたいという本を買い与えていました。

一方、下の子(現在小6)も方針は同じでしたが、活字の本にまったく興味がなく、自分から本を欲しがることがありませんでした。むしろ活字の本を嫌っています。

今回、この本を読んでいるのは本嫌いの下の子です。
本嫌いの下の子がこの本には興味を持ったようで、ゆっくりながらも少しずつ読み進めています。

機会が大切

本を読むかどうかは、読みたい本に出会うかどうかが全てです。
中高生の頃、Newtypeやコンプティークの読者だった私はロードス島戦記、フォーチュン・クエスト、宇宙皇子といった角川の本を中心に、銀英伝、アルスラーン、創竜伝といった田中芳樹作品、三国志、水滸伝といった光栄ゲーム作品の元となった本を読んでいました。
そこから少しずつ興味の幅が広がり、SF、ホラー、ファンタジー、推理、時代、純文学などジャンルも国内外も問わず何でも読むようになりました。
それらの本は今も本棚に並んでいますが、残念ながら子どもたちには読まれていません。(わりと最近読んだビブリア古書堂や櫻子さん辺りは上の子が読んでいたようですが…)

さて「手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ」 ですが、下の子にとってはゲーマーを題材にした本ということが興味を引いたようで、冒頭で猫が死んでしまうシーンも印象的だったようです。
私はほとんど読んでいないので詳しい内容はわかりませんが、小学生が読むにはちょっと重い内容の気もしますし、読みにくかったり難しい箇所もあるようです。
それでも読み続けているのは、この本にそれだけ魅力があるということなのでしょう。
私としては時間がかかっても良いので、自分で読もうと決め、読み終えた最初の難しい本となってくれることを願うばかりです。

Advertisement

終わる本、終わらないゲーム

ここからは私が考える本とゲームについて。
本にもゲームにも終わりがあります。
正確には終わりがあった、というべきでしょうか。
老害扱いされるのを覚悟で表現すれば、昔のゲームには終わりがありましたが、現在主流のゲームには終わりがありません。

本には終わりがある

私が本を好きなのは終わりがあるからです。(中にはいつまでも完結しない本というのもありますが)
本を読み終えることは、何かを最後まで成し遂げたという達成感があります。
また、私は紙の本が好きです。
ここまで読んだというのを物理的に見て取れるし、この厚さの本を最後まで読んだという実感があるからです。
物語を読むこと自体も楽しいですが、読後の達成感も楽しみの1つです。

終わるゲーム、終わらないゲーム

ドラクエ、FFといったRPGは終わりがあります。いわゆるエンディングですね。
ボリュームは別として、これは今も昔も変わりません。
マリオブラザーズやドンキーコングのようなアクション、ゼビウスなどのシューティングの多くは、ステージクリアはあっても延々と繰り返されるループゲームで終わりはありません。
それらのゲームの場合、難易度は異なりますが同じループがひたすら繰り返され、ゲームオーバーで最初からやり直しなので、いずれは飽きるか、ここまで進もう、このスコアを出そうといった自分で目標設定がしやすいシステムとなっています。(RTAなど目標設定が異常な人も一定数いますが)
そのため、自分の中でここまで行きたいという目標が立てやすかったと思います。

現在主流のゲームには終わりがありません。
目的を見つけにくく、目標設定もしにくいものが多くなっています。
フォートナイトやAPEX、R6S、LoL、スプラ2といった対人ゲームにはゲームシステム上の終わりはありません。
目的も勝利するといった単純なものから、最後の1人になる、ランクを上げるといった目的を持ったとしても、そこに到達したところでクリアしたとは言い切れません。
もう一度勝ち残れるか?ランクを維持できるか?という新たな目的にすぐにすり替わってしまうからです。毎回メンバーも変わりますし、同じ条件は二度とありません。
そしてそれは延々と、プレイヤーが飽きるまで続きます。
大体の場合、アップデートで飽きられないようになっているので、多くのプレイヤーは継続して遊び続けちゃいます。

スマホゲームについては言うまでもありません。
対人/ソーシャル要素と無限アップデート&イベントを上手くミックスして遊び続けられるように工夫されています。

終わりのないゲームの怖さ

あらかじめ断っておきます。 ここでは、多くの人がわかるフォートナイトのバトルロイヤルを例として取り上げますが、フォートナイトはとても面白く、素晴らしいゲームです。

最近のゲームに終わりがないことを書きましたが、こういったゲームを子どもが遊ぶことに対する怖さがあります。

終わることのない戦い

我が家の下の子も多分にもれずフォートナイトをプレイしています。
しかも、私よりもずっと上手い。
でも、どこまで上手くなったとしても、フォートナイトって終わりがないんですよね。

相手となるプレイヤーは世界中にいますし、上手いプレイヤーも次々と出てくる。どんなにプレイしても終わることのない戦いです。
そこが面白さにもなっているんですが、システム上のゲームクリアはありません。
ミッションやバトルパスといったものも次々と更新されていくため、終わることはありません。

誰でもヒーローになれるわけではない

対人ゲームでは当たり前ですが、勝敗がハッキリと別れます。
フォートナイトのバトルロイヤルでは勝者は1人です。
最後の1人となり、ヴィクトリーを取ることはとても難しい。
当たり前ですが、すべてのプレイヤーが取れるわけではありません。
負ければ悔しいし、上手くなれない自分の下手さに嫌気が差します。
それをバネにできればよいのですが、すべてのプレイヤーがそうとは限りません。

RPGであればその世界の中に自分の居場所があり、悪い魔王を倒すといった目的が明確になっています。
目的を達成するためのストーリーがあり、プロセスも明確です。
一歩ずつ成長していけば、世界を救うヒーローに自分がなれるのです。

自己肯定感の低下

何かを最後まで成し遂げる。
ゲームでも、本を読むことでも、プラモを作ることでも、最後までなにかを達成することは自信に繋がります。
もちろん、フォートナイトでも達成感を得ることはできます。
ミッションやバトルパスでもクリアすれば達成感を得られるでしょう。
最たるものはヴィクトリー。取れれば嬉しいし、満たされるでしょう。

でも、悲しいかなその ヴィクトリー はその瞬間の栄光に過ぎず、すぐに次の戦いが待っているのです。
ミッションやバトルパスも次々と更新されていきます。
エンディングはありません。

果たしてこれで達成感を得られるのか?
自信につながらず、自己肯定感が低くなってしまうのではないかと考えるときがあります。

本を読んで欲しい理由は達成感

私が子どもに本を読んで欲しいと思う最大の理由は、一冊の本を読み終えたという達成感を感じて欲しいからです。
良い本を読んで感動して欲しいなんてこれっぽっちも思いません。
とにかく最後まで読み終えて欲しい。
読んだ本がつまらなかったら、さっさと投げ捨てて面白いと思う本を最後まで読んで欲しい。
何を面白く感じるかは人それぞれなので、どんな内容の物語でも良いから最後まで読んで欲しい。そう思うのです。

最近のゲームは終らない化が急速に進んでいて、ゲームでは達成感を得にくくなっています。 そんな今だからこそ、ゲームだけじゃなく紙の本を手に取り、最後まで読んで欲しいのです。

ゲームではダメなのか

残念ながらダメです。

DQやFF、ゼルダBoWなどエンディングのあるゲームなら良いじゃないかと言われそうですが、それと本を読むことは明確に違います。
栞の位置が変わるたびに少しずつでも終わりに近づいているという充足感、 明確に見える終わりがあるからこそ得られる達成感 。
たとえ終わりのあるRPGであっても、プレイ中はここまで進んだら終わりという明確なラインまでは見えていません。
ラスボスだと思ったらさらに真のラスボスが待っていたという、ラスボスが再定義されるなんてことはよくあります。

それはそれでゲームとしては面白いから良いんですけども、本とゲームでは得られるものがやっぱり違うんですよね。

問題は目的と目標

さて、フォートナイトに話を戻します。
私が考えるフォートナイトの問題点は、目標設定がしにくいところにあります。
多くのプレイヤーが目指すヴィクトリーを取るという目標は具体性があり、良い目標のように見えますが、これは目的であって目標とすべきではありません。
この意味がわかれば大丈夫でしょうけど、果たして子どもがこれを理解できるでしょうか。

ヴィクトリーを取るという目的を達成するためには、まず50位以内、30、20、10…といった達成するための細かな目標を立て、1回の対戦ですべきこと、なすべきことを決めて臨まないと無駄に対戦して終わります。
対戦が終わってからきちんと反省をして、敗因分析までやればさらに強くなれるでしょう。
1試合ごとにPDCAを回すんです。
1度の勝利は2度目、3度目の勝利を求めるので、うまく機能させることができれば上達も早いでしょう。

目標設定の上手なプレイヤーであれば、この辺りを上手くコントロールして上達していけるのでしょうけど、ほとんどのプレイヤーは漠然とヴィクトリーを取るという目標を掲げるものの、一定のレベルで頭打ちになると思います。
明確な目的を持ち、適切な目標を設定できないと、惰性でゲームを続けるだけになってしまいます。
それはプレイヤーにも、そのゲームにとっても良くない状態ではないでしょうか。

ゲームにややこしい話はクソ喰らえ ?

そう、ゲームは娯楽。
楽しめれば良いんです。
勝つための方法を考えるのが楽しいならそれで良いし、単純にプレイすること自体が楽しければ何となくプレイしたって良いんです。
楽しみ方は自由です。何ならプレイしなくたって良い。

でもね、やっぱり勝たないと達成感を得られないんですよ。
負けても楽しいから良い?
それも良いでしょう。でも、 私はそのほうが心配になります。
夢中になってプレイするなら、漠然と遊ぶのではなく、きちんと目的を決め、そこに至るための目標を考えてプレイして欲しいのです。
勝ち負けがあるならば、勝つ方法を考えて欲しいのです。
普通は負けるより勝つほうが楽しいですからね。

目標設定が難しいことは良いこと

目的や目標が見えづらいと書きましたが、これは目的や目標を立てる練習になると考えることもできます。
私は夏休みの宿題を溜め込むタイプだったので、もっと早くこの練習をしておけば良かったなぁと思いますが、時既に遅し。
目標設定が適切でない場合はプランを変更するのは当たり前のことですし、現実的な目標へ落とし込んでいくことは自分自身を客観的に分析しないとできません。

だいたいの場合、ゲームを長時間プレイしすぎてしまうのは目標設定が悪いのです。
私もそうですが「今日はここまで」の線引きが下手なんですね。
できもしない目標を掲げてがんばるけど、達成できない。
達成できないと満足できないからプレイし続けてしまう。

ゲームプレイを時間で区切ってしまうのはあまり良くなくて、ゲーム内の目標を設定し、そこまでプレイするというふうに区切るほうが満足できるんじゃないかと思います。
もちろん時間は有限ですから、時間の制約はあります。
時間の制約に引っかかるなら、今の自分にあった目標に再設定しなおせばよいのです。

最後に

私はゲームも本も好きです。
例外もありますが、どちらも良いもので、時間を費やすに値します。
世間的にはゲームは娯楽だからダメという考えも根強いように思いますが、読書だって同じ娯楽に過ぎません。

娯楽である以上、ゲームも読書も適切な目標設定ができなければやり過ぎてしまいます。
ゲームのほうが目標設定がしにくいシステムになっているから、みんな目の敵にするんじゃないでしょうか。

自分自身で目標設定をしていくには、先の見えている紙の本を読むことがとても良い訓練になります。
本の内容も大切ですが、内容よりも、紙の本を最後まで読むという経験を通して学べることのほうがずっと大切だと私は思います。

あそんだ、つくった、みた以外カテゴリの最新記事